大伴家持(おおとものやかもち)
生没 716/717/718~785.8.28 奈良時代の公卿・歌人。姓は宿禰(すくね)。父は旅人(たびと)。弟に書持(ふみもち)がいる。叔母大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の女坂上大嬢(おおいらつめ)は正妻。天平年間は内舎人(うどねり)として聖武天皇に近侍し,従駕歌,安積(あさか)皇子への挽歌などを作る。746年(天平18)越中守として赴任,数々の作品を残す。帰京後は衰えつつある大伴氏の首長として一族の団結と復権に尽くしたが,763年(天平宝字7)藤原仲麻呂を除こうとして薩摩守に左遷される。780年(宝亀11)参議,翌年従三位。782年(延暦元)には氷上川継(ひかみのかわつぐ)の変に連坐して解官されたが,許されて中納言に昇り,征東将軍在任中に没した。直後,藤原種継(たねつぐ)暗殺事件により除名されたが,806年(大同元)復位した。「万葉集」編纂に大きな役割をはたしたとみられる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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