大谷吉継(おおたによしつぐ)
生没 1559~1600.9.15 織豊期の武将。父は大友宗麟(そうりん)の臣大谷盛治といわれる。紀之介。刑部少輔。豊臣秀吉に近侍し,1583年(天正11)賤ケ岳(しずがたけ)の戦に加わり,87年九州攻めで兵站を調え,89年越前国敦賀5万石を得た。小田原攻め,奥州平定に従い,出羽検地を担当した。92年(文禄元)の朝鮮出兵には名護屋(なごや)船奉行,ついで三奉行として漢城(現,ソウル)に入り,翌年晋州攻撃ののち帰国。1600年(慶長5)西軍に与し,関ケ原で戦死した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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