大隈重信内閣(おおくましげのぶないかく)
大隈重信を首班とする明治・大正期の内閣。�@第1次(1898.6.30~11.8)。伊藤博文の強力な推挙により大隈と板垣退助の2人に組閣命令が降り,初の政党内閣として発足(隈板(わいはん)内閣)。旧自由党と旧進歩党からなる与党憲政党の内紛・分裂のため一度も議会を迎えずに退陣した。�A第2次(1914.4.16~16.10.9)。立憲同志会・中正会をおもな与党とし,加藤高明・大浦兼武が力をもった。第1次大戦への参戦,いわゆる対華二十一カ条の要求など東アジアへの膨張を企てたが,中国ナショナリズムの反発をよぶ一方,加藤外相の強引な政治手法が元老の不興を買った。内政面では1度否決された2個師団増設を解散・総選挙をへて実現させたが,大浦内相の選挙干渉が問題化した。はじめ元老は政友会の抑制や民衆運動の鎮静化を期待して大隈を首相にしたといわれるが,内閣の人気はしだいに下降し両者の関係も微妙になり,加藤を後継首班にしようとした大隈の意は通らず,曲折の末,寺内内閣が成立した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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