大石良雄(おおいしよしお)
生没 1659~1703.2.4 播磨国赤穂藩浅野氏の家老。幼名喜内,通称内蔵助(くらのすけ)。知行高1500石。山鹿素行に軍学を,伊藤仁斎に漢学を学んだとされる。1701年(元禄14)藩主浅野長矩(ながのり)の切腹,城地没収に際し,家中を統括して浅野家再興をめざしたが,その可能性を断たれた02年12月,吉良義央(よしなか)を殺害して,喧嘩両成敗のかたちを自力で完遂させた。幕命により熊本藩下屋敷に預けられ,翌年自刃。赤穂事件は赤穂の浪士らが幕府の方針に反した犯罪者か義士かで,当時から論争になった。一般には文学作品や演劇の題材にとりあげられるなかで,忠君の義士のイメージが定着し,大石の指導者としての理想像が形成されていった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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