大井憲太郎(おおいけんたろう)
生没 1843.8.10~1922.10.15 明治・大正期の政治家。本姓は高並,幼名彦六,号は馬城。豊前国生れ。長崎遊学をへて,大学南校などでフランス学を学び,多くの法律書を翻訳。1874年(明治7)の民撰議院論争では即時開設論を主張。75年元老院少書記官となるが,翌年免官。82年自由党常議員となり,急進派を指導した。85年大阪事件をおこし重懲役となるが,89年大赦により出獄。92年東洋自由党を結成,対外硬を主張するとともに,社会問題解決にも尽力。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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