近江朝廷(おうみちょうてい)
淡海朝廷とも。天智天皇と弘文天皇の両朝をさす語。天智天皇が667年(天智6)近江の大津(現,滋賀県大津市)に遷都し,次の弘文天皇(大友皇子)まで都であったことによる。天智天皇は白村江(はくそんこう)の敗戦後の緊迫した状況のなかで,近江遷都,庚午年籍(こうごねんじゃく)の作成,官制の整備などを行い,律令制国家の形成を一歩進めたが,天皇死去の翌672年,壬申(じんしん)の乱が勃発し,弘文天皇は敗死して,近江朝廷は終りを告げた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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