汪兆銘(Wang Zhaoming)(おうちょうめい)
生没 1885.5.4~1944.11.10 近代中国の政治家。広東省出身。号は精衛。法政大学留学中に孫文らの中国革命同盟会に加入。辛亥(しんがい)革命後国民党の要職を歴任したが,孫文の死後蒋介石(しょうかいせき)とあわず,反蒋運動を展開,蒋の下野により南京政府と妥協。満州事変勃発後の1932年(昭和7)には,復帰した蒋と妥協し蒋汪合作政権を樹立し行政院長に就任。36年の西安事件では反共第一を主張した。日中戦争勃発後の38年重慶を脱出し,反共和平救国声明を発表。40年南京国民政府を樹立し主席代理(のち主席)兼行政院長となるが,事実上は日本の傀儡(かいらい)政権であった。43年来日し,翌年名古屋で死去。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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