立憲改進党(りっけんかいしんとう)
明治前・中期の政党。1882年(明治15)3月,明治14年の政変で下野した大隈重信と大隈系の旧官吏・言論人などを中心に結党。国会開設にむけて府県会議員を組織し,漸進主義的・合法主義的な運動を展開。弾圧強化などで不振に陥り,84年には総理大隈も脱党。88年,大隈が外相として入閣し,条約改正交渉を担当したことを通じて党勢拡張をはかったが,改正交渉は挫折し,第1回総選挙でも少数党にとどまった。初期議会で自由党と民党連合を結成して藩閥政府と対決したが,自由党と第2次伊藤内閣の接近にともない民党連合は崩壊。立憲改進党は国民協会などと連合して対外硬運動を推進したが,党勢は伸び悩んだ。96年3月,立憲革新党などと合同して進歩党を結成した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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