三浦(さんぽ)
李氏朝鮮の前期に日本船の来航を許可した三つの港。慶尚道南岸の薺浦(せいほ)(乃而浦(ないじほ))・富山浦(ふざんほ)(釜山)・塩浦(えんぽ)の3港。15世紀初頭,興利船(こうりせん)の入港地を薺浦・富山浦の2港に限定,1423年(応永30)には使送船の出入りも2港に制限された。対馬からの浦所の増設要求に対して,26年に塩浦を開港。各浦に倭館(わかん)が設置され,対馬島民を中心とする恒居倭人が居住し,対馬からの代官による徴税・検察が行われた。密貿易の舞台にもなり,港湾都市として発達した。「海東諸国紀」は74年(文明6)当時の各浦の地図を収めている。1510年(永正7)の三浦の乱後,12年の壬申(じんしん)約条により薺浦1港のみ,ついで富山浦を開港したが,47年(天文16)以降は富山浦のみとなる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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