山東出兵(さんとうしゅっぺい)
昭和初期に中国での北伐の進展下,田中義一内閣が居留民保護を名目として行った山東半島への3度の派兵。(1)1927年(昭和2)5月の北伐開始とともに,6月1日第10師団約2000人を青島に派遣。北伐の中断後,9月に撤兵。(2)28年北伐の再開とともに国民革命軍が山東省に入ると,4月19日済南・膠済(こうさい)線沿線に第6師団・支那駐屯軍約5000人を派遣。5月3日の小衝突をきっかけに交戦状態に入り,中国側に約5000人の死傷者をだした(済南事件)。(3)事件の拡大をみた内閣は第3師団を動員し,同月11日済南城を占領。革命軍への干渉戦争の性格が強まり,外交交渉の結果29年5月に撤兵を完了した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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