歌舞伎戯曲のうち,散切頭に象徴される明治維新以後の新風俗に取材したもの。1872年(明治5)京都で中村正直訳「西国立志編」が脚色されたことに影響をうけ,翌年河竹黙阿弥は「東京日(にちにち)新聞」を書き,以後20余編の散切物を残す。同時に97年頃までに関西でも散切物が流行した。当世の風俗を写すのが現代劇である世話物の使命であったが,これらは旧来の歌舞伎の手法をでず,結局歌舞伎の古典化を招くこととなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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