3月事件(さんがつじけん)
1931年(昭和6)3月の未発に終わった陸軍のクーデタ事件。決行日を20日としていたが同月18日に中止。小磯国昭軍務局長・建川美次(よしつぐ)参謀本部第2部長・二宮治重(はるしげ)参謀次長・杉山元(はじめ)陸軍次官ら陸軍の首脳が,宇垣一成(かずしげ)(陸相)内閣を樹立して国家改造を断行しようとした。実行部隊は橋本欣五郎中佐を中心とした桜会の急進派将校と,大川周明らの右翼,麻生久(社会大衆党書記長)ら無産政党が動員する約1万人の同志・浪人・民衆。日比谷一帯に騒乱をおこし,軍首脳が開会中の帝国議会に入って浜口内閣を総辞職させ,宇垣に組閣の大命を降下させる段どりだった。第1師団の動員も計画。しかし資金提供者の徳川義親(よしちか)侯爵が大川を説得し,宇垣も変心したため中止された。事件は処罰者もなく秘密裏に処理されたが,その後事件に反対した永田鉄山軍事課長が執筆した「クーデター計画書」を荒木貞夫大将が入手,37年初頭に宇垣内閣を流産させた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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