佐々木高氏(ささきたかうじ)
生没 1306~73.8.25 京極高氏とも。南北朝期の武将。宗氏の子。四郎。佐渡大夫判官。外祖父宗綱をついで京極家の家督を継承。1326年(嘉暦元)北条高時の出家に従って剃髪,導誉(どうよ)と称す。32年(元弘2)後醍醐天皇の隠岐配流の警固を勤めた。翌年足利氏に従って六波羅探題を滅ぼし,建武新政では雑訴決断所奉行人。中先代(なかせんだい)の乱(1335)で尊氏が関東へ下向すると先鋒を勤め,室町開幕後は評定衆・引付頭人・政所執事,および若狭・近江・出雲・上総・摂津・飛騨各国守護を歴任。40年(暦応3・興国元)妙法院焼打事件で上総へ配流の際,出京のいでたちは山門・朝廷を愚弄したものであり,婆裟羅(ばさら)大名の典型とされる。配流は履行されず,まもなくゆるされて出仕。観応の擾乱ではおおむね尊氏・義詮(よしあきら)に属した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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