鎖国令(さこくれい)
1633~36年(寛永10~13)に毎年出された幕府の長崎奉行宛の下知状と,39年のポルトガル人追放令の総称。前者は33年徳川家光が親政にあたって長崎奉行竹中重義を罷免したため,新任の長崎奉行に長崎での政務の大綱を示したもの。キリスト教徒の捜索・逮捕が命じられたほか,33・34年には奉書船以外の日本船の海外渡航禁止,海外在住の日本人の帰国制限など,35年には日本船の海外渡航の全面禁止,海外在住の日本人の帰国禁止,貿易地の長崎・平戸への限定など,36年にはポルトガル人との混血児の国外追放が規定された。39年のものは島原の乱をきっかけに旧教国であるポルトガル人の追放を命じた法令で,同時に国内の諸大名には沿岸の防備が命じられた。これらの諸政策は,海外からの宣教師潜入や日本人が海外でキリスト教徒になるのを防ぐことを主眼にしていたが,あわせて貿易統制の諸政策の総決算でもあり,日本人の海外渡航が禁止されて海外から孤立するなど,江戸時代の政治・外交体制に大きな影響を与えた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう