佐賀の乱(さがのらん)
1874年(明治7)2月に佐賀県でおきた士族の反乱。73年10月の政府分裂後,佐賀県では不平士族が征韓党や憂国党を結成し,不穏な情勢にあった。政府の武力介入が計画されるなか,参議を辞し帰郷して征韓党の首領に仰がれた江藤新平は,憂国党の首領に推された元秋田県権令の島義勇(よしたけ)と手を結び,2月15日両党は蜂起して県庁を襲撃した。反乱軍は約1万2000人で,緒戦では優位に立ったが,期待した他県の不平士族の呼応はなく,参議大久保利通(としみち)指揮下の鎮台兵によって3月1日鎮圧された。江藤は逃れて鹿児島や高知に潜入し,西郷隆盛や林有造に決起を促したが拒否され,28日高知県甲浦(かんのうら)(現,東洋町)で逮捕された。島も逃亡後逮捕され,江藤と島は梟首(きょうしゅ)に,ほか11人が斬首となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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