斎藤道三(さいとうどうさん)
生没 1494/1504~1556.4.20 戦国期の武将。美濃国稲葉山城(現,岐阜市)城主。実名利政。初名長井規秀。山城の商人から身をおこして一代で美濃国主になったといわれるが,父とみられる西村新左衛門尉は,大永年間すでに美濃で活動している。1533年(天文2)はじめて史料上に現れ,35年頃に土岐頼芸(よりなり)を守護に擁立,実権を握ったとみられる。38年以後斎藤氏を称す。朝倉・織田両氏など美濃内外の諸勢力と争ったが,48年織田信長を女婿とし,同盟を結んだ。52年頃,頼芸を近江に追放し,名実ともに美濃国主となった。54年嫡子義竜(よしたつ)に家督を譲るが,これは引退を強要された結果とみられる。のち義竜と武力衝突になり,56年(弘治2)長良川合戦で敗死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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