西大寺(さいだいじ)
�@高野(たかの)寺とも。奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山。南都七大寺の一つ。勝宝山と号す。764年(天平宝字8)恵美押勝(えみのおしかつ)の乱に孝謙上皇が戦勝を祈願して四天王像の造立を発願。乱後,四王院(堂)が建立され,やがて平城右京一条三・四坊に31町を占める東大寺に匹敵する規模に拡大されて,西大寺と名づけられた。平安時代になると火災などでしだいに衰退,興福寺支配下におかれた。叡尊(えいぞん)が1235年(嘉禎元)に入寺して伽藍を再建し,戒律の道場とした。叡尊は光明真言会(こうみょうしんごんえ)を始めるなど,当寺を拠点に南都仏教の復興を図った。1502年(文亀2)兵火で諸堂を焼失,江戸時代に再建された。国宝の「金光明最勝王経」「十二天像」や重文の銅造四天王像・木造叡尊像など文化財を多数有する。境内は国史跡。�A岡山市東区西大寺にある高野山真言宗の寺。金陵山と号す。寺伝では,奈良時代に周防国の玖珂郷(くがごう)から訪れた藤原皆足媛(みなたるひめ)が千手観音を小堂に安置したのが始まりという。当寺は奈良西大寺末寺の額安寺の荘園金岡(かなおか)東荘のなかにあり,寺号は奈良西大寺にちなむと考えられる。鎌倉末期には金堂・常行堂・僧房以下の伽藍をもったが,たびたびの火災で炎上。戦国期には宇喜多(うきた)氏の援助で再建された。現在の伽藍は江戸末期の再建。旧正月14日夜(現在は2月第3土曜)に行われる修正会(しゅしょうえ)結願の行事会陽(えよう)は,西大寺の裸祭として有名である。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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