関(せき)

通行人や物資などの移動を留めたり,検閲を行う施設。(1)古代には軍事・交通上の要衝に設置された。関市令(げんしりょう)に規定される。関の通過には京職や諸国などから発給される過所(かしょ)が必要だった。鈴鹿・不破・愛発(あらち)関が三関(さんげん)として重視され,三関を管轄する伊勢・美濃・越前3国は関国として特別にあつかわれた。平安時代には鈴鹿・不破・逢坂(おうさか)が三関とされた。三関は謀叛や天皇の死去などに際し急使が派遣され,三関を閉ざす固関(こげん)が行われた。そのほか相模国の足柄,上野国の碓氷,陸奥国への勿来(なこそ)・白河,出羽国への念珠(ねず),山陽道の須磨・長門などの関が知られる。(2)中世では,幕府・朝廷・大寺社などが関銭を徴収する目的で設けた。室町中期に伊勢街道の桑名・日永間15kmに60余の関所があって,人別1銭ずつ徴収したことが記録されている。このため戦国大名には関所を廃止する動きがあり,織田信長や豊臣秀吉はその政策を全国に及ぼそうとした。(3)近世では,江戸幕府が江戸防衛のために主として天険の地におき,関所といった。主要街道や裏道まで全国五十数カ所に配備。関所では「入鉄砲に出女」をきびしく検閲し,それに付随して犯罪者・不審者なども取り締まった。諸藩が関所をおくことは禁止されていたが,口留(くちどめ)番所と称して関所的な施設をおいた例は多い。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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