西南戦争(せいなんせんそう)
1877年(明治10)西郷隆盛ら鹿児島県士族による最大にして最後の士族反乱。73年の征韓論をめぐる政変で下野した西郷は鹿児島に私学校を設立し,彼のもとに結集した士族とともに反政府勢力として私学校党を形成した。西郷は各地の不平士族の決起要求には応じなかったが,77年政府による鹿児島からの武器弾薬の搬出や密偵事件を機に決起,2月15日約1万3000人の兵を率いて鹿児島を進発し,九州各地の不平士族もこれに加わった。西郷軍は2月下旬熊本城の鎮台を包囲する一方で,南下してきた政府軍と激戦をくり返したが,3月4日からの田原坂(たばるざか)(熊本市北区)の戦で死闘の末に敗北,4月14日城の包囲を解いて撤退した。以後西郷軍は各地の戦闘に敗れ,8月17日に宮崎県長井村(現,延岡市)で全軍を解散し,精鋭数百人で鹿児島に戻って再挙をはかった。しかし政府軍は9月24日に西郷らがこもる城山を総攻撃,西郷以下約160人が戦死した。戦争は徴兵中心の政府軍の勝利に終わり,以後は自由民権運動が反政府運動の主体となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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