政体書(せいたいしょ)
明治新政府の政治組織を定めた布告。1868年(明治元)閏4月21日公布。「令義解(りょうのぎげ)」「職原抄」「西洋事情」「聯邦志略」「万国公法」など古今東西の諸書を参考に,参与福岡孝弟(たかちか)と同副島種臣(そえじまたねおみ)によって起草された。冒頭に五カ条の誓文を掲げてその趣旨にもとづくことを明示し,続いて政体の綱領をあげて,太政官への権力集中,三権分立,人材の登用,各府藩県からの貢士(こうし)を議員とする議会の設置,官吏の4年任期と公選制などを規定した。さらに官職・官等の具体的規定を設け,太政官を7官にわけて,議政官を立法機関に,行政・神祇・会計・軍務・外国の5官を行政機関として行政官の統轄とし,刑法官を司法機関とし,地方制度は府藩県三治制とした。政体書にみられる三権分立と公議制の規定は必ずしも実効は上がらず,官吏公選制も1度行われたにすぎなかったが,維新直後の政治理念を示した意義は大きい。69年7月8日の官制改革で中央官制は二官六省制に変更され,神祇官・太政官を中心とする官制となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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