承久の乱(1221)後に任じられた地頭。乱後,鎌倉幕府は京方から3000余カ所の所領を没収,そこに新たに地頭を任命した。ほとんどが西国に分布し,地頭の多くは東国の御家人であった。彼らの得分は,前任の地頭・下司のものを継承するのが原則だったが,少ない場合や先例のない場合には新補率法によった。得分を新補率法による地頭のことを,とくに新補率法地頭,あるいはたんに新補地頭とよぶこともあった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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