壬午事変(じんごじへん)
壬午軍乱・京城事変とも。朝鮮の開化・守旧両派の抗争から生じた変乱。近代化をめざす閔妃(びんひ)政権は軍事教官に堀本礼造陸軍工兵少尉(当時)を招き新式軍隊(別技軍)を訓練。旧式軍の兵卒は給米への不満からこれに反感を抱き,隠退中の大院君に扇動されて,1882年(明治15,壬午)7月23日,漢城(現,ソウル)民衆を含め暴動をおこした。閔謙鎬(びんけんこう)ら閔派の高官を暗殺し,昌徳宮に乱入,堀本中尉らを殺害し日本公使館を襲った。花房義質(よしもと)公使は仁川に脱出,イギリス測量艦で長崎に急航した。日本政府は居留民保護の軍艦を釜山に送り,花房公使に護衛兵と軍艦をつけ朝鮮政府との談判にのぞませ,済物浦(さいもっぽ)条約が結ばれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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