神祇官(じんぎかん)
�@大宝・養老令制の官司。四等官は順に伯・大少副・大少祐・大少史で,このほか神部(かんべ)・卜部(うらべ)が所属。職掌として,神祇祭祀を執り行い,諸社の祝部(はふりべ)・神戸(かんべ)を名籍により掌握し,卜部や御巫(みかんなぎ)の亀卜(きぼく)によって吉凶を占った。太政官とともに二官と並び称されるが,太政官に対して上申文書である解(げ)を出していることからもわかるように,太政官の管轄下におかれた。八省に対しては平行の官司間で交わされる文書である移(い)を出し,諸国に対してもこれを行った。「日本書紀」の天武紀にみえる神官が直接の前身と考えられるが,持統紀には神祇官と表記されるので,浄御原令(きよみはらりょう)制下で改称された可能性がある。�A明治初年の祭祀・宣教をつかさどる政府の最高官庁。1868年(明治元)新政府ははじめ神祇事務科,ついで神祇事務局をおいて祭祀などをつかさどったが,祭政一致の理念から神祇官再興の声が高まり,同年閏4月,政体書(せいたいしょ)の発布により太政官における行政官の一官として神祇官を設置。69年7月の官制改革で太政官の外に神祇官を設け,太政官の上位にあるものとした。伯・大副(たいふ)・少副以下の職員をおき,祭祀・諸陵・宣教などを管掌。初代神祇伯は中山忠能(ただやす)。宣教使を統轄して復古的な大教宣布の活動を進めるなど,政府(太政官)の開化政策と対立。71年8月廃官となり,神祇省に格下げされた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう