条約勅許問題(じょうやくちょっきょもんだい)
幕末期,安政五カ国条約の調印・勅許をめぐる紛議。1858年(安政5)孝明天皇は条約を認めず,大老井伊直弼(なおすけ)は仮条約のまま調印。天皇は無断調印に激怒し,朝幕関係が悪化した。この問題は攘夷か開国か,尊王か佐幕かの争点ともなり,外国人殺傷事件も続発。列強は条約勅許を得なければ攘夷運動根絶は不可能と考え,64年(元治元)四国連合艦隊が下関砲撃を行い,勝利をおさめると,65年(慶応元)兵庫沖に来航して条約勅許,兵庫の先期開港と関税率軽減(改税約書)を要求した。朝議は紛糾したが,徳川慶喜(よしのぶ)らが説得につとめ,10月5日条約勅許の勅書が出された。これによって仮条約は合法化され,天皇が元首であることが明示される結果となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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