尚巴志(しょうはし)
生没 1372~1439.4.20 琉球王国の第一尚氏王統2代目の王で統一王朝の樹立者(在位1422~39)。神号は勢治高真物(せじたかまもの)。若くして沖縄島南部に位置する佐敷城(さしきぐすく)の按司となる。通説では山南国の内紛に乗じて1402年島添大里按司(しまそえおおざとあじ)を倒して地歩を堅め,06年中山王武寧(ぶねい)を倒し,父思紹を中山王にたて,16年山北王攀安知(はんあんち)を,29年山南王他魯毎(たろまい)を倒したという。29年を統一国家の樹立年とするが,22年とする説もある。25年明国の冊封使柴山(さいざん)により中山王に冊封され,27年首里城の近在を開削し明の首都北京の池水にならった竜潭(りゅうたん)を築くなど,王都の整備をはかった。華僑の頭目の懐機(かいき)を王相(国相)に任命し,華僑集団と緊密な関係を保ち,朝鮮・中国・東南アジアとの交易を活発化した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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