尚寧(しょうねい)
生没 1564~1620.9.19 琉球王国の第二尚氏王朝の7代目の王(在位1589~1620)。神号は日賀末按司添(てだがすえあじそえ)。3代尚真王の玄孫にあたり,母は6代尚永王の妹。即位前は浦添(うらそえ)王子と称した。豊臣秀吉から朝鮮出兵の兵粮米などを強要されるが,豊臣政権とは距離をおき,朝鮮出兵の情報を明国へ通報し警戒を促すなど冊封体制下に琉球を位置づけ,1606年琉球国王に冊封された。鹿児島藩への服属要求を拒否しつづけたが,09年(慶長14)同藩の攻略をうけた。捕虜となり駿府の徳川家康,江戸の徳川秀忠に謁見させられ,2年後に帰国を許された。尚寧らの不在中鹿児島藩は検地を行い,11年奄美地域を除く沖縄諸島・先島諸島(宮古・八重山列島)約8万9000石を中山王領とする知行目録を与えた。以後琉球は鹿児島藩の領分(従属国)となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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