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聖徳太子(しょうとくたいし)

生没 574~622.2.22 用明天皇の皇子。母は皇后穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女。厩戸(うまやど)皇子が実名と考えられるが,住んでいた宮の名称や仏教とのかかわり,またその優れた能力などから,上宮厩戸豊聡耳(かみつみやうまやどのとよとみみ)皇子・上宮(じょうぐう)法皇など多くの異称をもつ。「日本書紀」は593年,推古天皇の即位と同時に立太子し,摂政となったとするが,実際に政治に関与するのは602年(推古10)頃からの約10年間と考えられる。この間,冠位十二階・憲法十七条の制定,遣隋使の派遣,国史編修などにかかわった。皇太子とすることには疑問があり,推古のもとで蘇我馬子(そがのうまこ)と共同執政を行っていたとする考えもある。仏教への造詣が深く,手厚く保護し,みずから四天王寺の造立を企てた。「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」は太子の著作とされる。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象とされ,多くの太子像が造られた。蘇我馬子の女刀自古郎女(とじこのいらつめ)との間に山背大兄(やましろのおおえ)王らをもうけた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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