正倉院(しょうそういん)
奈良・平安時代の中央・地方の官衙や大寺院には重要物品を納める倉庫(正倉・正蔵)が設置され,その正倉が幾棟か集まった一郭を正倉院と称した。現在では東大寺正倉院内の正倉1棟のみが残り,固有名詞として用いられるようになった。この正倉(国宝)は檜造(ひのきづくり),寄棟本瓦葺の高床式建築で,南北に長く,1棟を3区分してそれぞれ北倉(ほくそう)・中倉・南倉とよぶ。北倉と南倉は三角材を井桁(いげた)に組んだ校倉(あぜくら)造で,中倉は厚板をはめた板倉造とする。築造の記録はないが,759年(天平宝字3)以前には存在していた。756年(天平勝宝8)に光明皇太后が聖武太上天皇の遺愛品などを東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)に献納し,これが正倉に収蔵されて以来,勅封(ちょくふう)の倉として管理された。その後1200年余にわたり正倉院は東大寺によって管理されたが,1875年(明治8)国に移管され,現在は宮内庁の所管となっている。間口33m,奥行9.4m,総高14m,床下高2.7m。現在宝物は正倉から空調設備の整ったコンクリート造の新宝庫に移納されている。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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