俊寛(しゅんかん)
生没年不詳。平安後期の真言宗僧,後白河法皇の近臣。仁和(にんな)寺寛雅(かんが)の子。出家後少僧都(そうず)に昇り,父の跡をついで法勝(ほっしょう)寺座主(ざす)となる。1174年(承安4)八条院の仁和寺蓮華心院供養に上座を勤め,その賞によって子俊玄(しゅんげん)が法橋に任じられる。77年(治承元)鹿ケ谷(ししがたに)山荘での平氏追討謀議が発覚し,藤原成経(なりつね)・平康頼(やすより)とともに薩摩国鬼界ケ島に流罪となり,同地で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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