自由党(じゆうとう)
�@明治期の政党。1881年(明治14)成立。全国的に活況を呈していた民権派結社を結集する中央政党結成の気運をうけ,板垣退助を総理,中島信行を副総理として結党。立憲改進党とともに自由民権運動の中心として活動したが,国会開設まで10年という長期間の運動を指導していくことの困難さや,板垣・後藤洋行問題に端を発した内紛,改進党との軋轢,弾圧強化,資金難などで行き詰まり,84年10月解党。やがて大同団結運動で民権派再結集の気運が盛り上がり,大同倶楽部・再興自由党・愛国公党の旧自由党3派に九州同志会が合同し,90年9月,立憲自由党を結成(翌年自由党と改称)。改進党とともに民党連合を形成し,初期議会で藩閥政府と激突したが,第4議会頃から第2次伊藤内閣に接近し,日清戦後の96年4月には板垣退助が内相として入閣。98年6月,地租増徴などをめぐり藩閥が政権維持の展望を失ったのをうけて進歩党と合同,憲政党を組織した。�A昭和戦後期の政党。1950年(昭和25)3月,民主自由党と民主党連立派の合同によって成立。総裁吉田茂。成立時は第3次吉田内閣期で,以後第5次吉田内閣まで政権を担当。この間サンフランシスコ講和条約の締結,日米安保体制の確立,資本主義経済の再建,警察予備隊の新設など,戦後日本の進路を決定づける諸政策を遂行した。55年11月,日本民主党からの保守合同のよびかけや財界の要請に応じて解党し,自由民主党の結成に参加した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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