謝花昇(じゃはなのぼる)
生没 1865.9.28~1908.10.29 明治期の沖縄の社会運動家。東風平(こちんだ)村生れ。1882年(明治15)県費留学生に選抜されて上京し,91年帝国大学農科大学を卒業。帰県後,沖縄出身の最初の高等官(県技師)となり,奈良原繁県政のもとで開墾事務主任を担当。耕地と林野のバランスを重視して知事の開墾至上主義を批判し,土地整理事業の一環としての杣山(そまやま)処分問題でも,農民の利益を擁護する立場から民地民木を主張して知事と対立。板垣退助らの政党内閣に知事更迭を要請したが実現せず,県庁内で孤立し98年辞任。以後同志とともに「沖縄時論」を発行し,独裁的県政批判と参政権獲得運動を展開したが,知事一派の弾圧で挫折,心身を病み不遇のうちに病没。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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