下山事件(しもやまじけん)
1949年(昭和24)7月6日,国鉄総裁下山定則の轢断(れきだん)死体が東京都足立区綾瀬の常磐線線路上で発見された事件。下山は5日に自宅から専用車で三越本店に入り,そのまま行方不明となっていた。政府は5日が国鉄の第1次人員整理案発表予定日であったため,「他殺と推定」との見解を公表,ストを続けてきた労働組合側を抑圧しようとした。警視庁は自殺説をとったが,古畑種基(たねもと)東京大学医学部教授は「死後轢断」つまり他殺説を主張。のちに作家松本清張は米軍による謀殺説を展開し,論争がマスコミをにぎわせた。三鷹・松川両事件とともに占領軍統治下における謀略事件の一つとする説が有力だが,真相はなお不明である。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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