持明院統(じみょういんとう)
鎌倉~南北朝期に分裂した皇統のうち,後深草天皇の皇統。持明院を院御所とした。1272年(文永9)後嵯峨上皇が後継者を指名することなく没したのち,皇位・所領をめぐって亀山天皇の皇統である大覚寺統と対立。1317年(文保元)には幕府の仲介によって文保の和談がなされ,両統迭立(てつりつ)の原則によることが求められた。しかし以後も両統の対立は続き,南北朝内乱期には京都に北朝をたて,吉野に拠る南朝(大覚寺統)と対立。92年(明徳3・元中9)の南北朝合一の際には,再び両統迭立の原則によることとなったが,実際は持明院統のみが皇位を継承した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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