清水家(しみずけ)
徳川家の分家。御三卿の一つ。1758年(宝暦8)9代将軍徳川家重の次男重好(しげよし)が江戸城清水門内に屋敷を与えられ,翌年から居住したのに始まり,田安家・一橋家と同様の待遇を得た。公卿に叙され,宮内卿・式部卿を称する。賄料領知10万石を領するが,家老などの主要役職は幕臣から付人が派遣され老中支配であった。95年(寛政7)重好の没後,無嗣のため領地・諸士は召上げ,清水勤番支配となる。98年11代将軍家斉(いえなり)の五男敦之助が2代を相続したが翌年没し,その後も頻繁に当主を欠いた。1866年(慶応2)6代目を継いだ水戸家徳川斉昭の子昭武(あきたけ)は68年(明治元)水戸家を継いだため,70年兄慶篤の子篤守(あつもり)が継承し,家禄2500石を与えられた。71年清水に改姓。84年伯爵家となり,87年徳川姓に復した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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