斯波義将(しばよしゆき)
生没 1350~1410.5.7 「よしまさ」とも。南北朝期~室町中期の武将。高経の四男。治部大輔・左衛門佐・右衛門督。勘解由小路(かでのこうじ)殿と称される。法名道将。1362年(貞治元・正平17)父の後見で幕府執事となり,越中国守護を兼任。66年,父と越前へ退去したが,翌年ゆるされて上洛,越中国守護に復帰。79年(康暦元・天授5)管領細川頼之を排し,かわって管領に就任。まもなく畠山基国(もとくに)と越中・越前の守護職を交換した。明徳の乱後管領を辞任するが,のち再任。その後も嫡子義教・嫡孫義淳(よしあつ)を後見して将軍足利義持を補佐し,3代義満への太上法皇号追贈を辞退させた。1409年(応永16)にも外交上の理由から2カ月間管領を勤める。翌年病没。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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