斯波義敏(しばよしとし)
生没 1435?~1508.11.16 戦国期の武将。斯波庶流大野持種(もちたね)の子。左兵衛佐・左兵衛督。従三位。法名道海。1452年(享徳元)斯波義健(よしたけ)の夭折後,重臣甲斐常治・朝倉孝景らに擁されて武衛家(斯波惣領)の家督を継承,越前・尾張・遠江3国守護となる。その後,常治らと対立。59年(長禄3)古河公方(くぼう)足利成氏追討を命じられると,関東に下らず常治を越前国敦賀城に攻めて敗北。家督は嫡子松王丸(義良(よしすけ)のち義寛),ついで義廉(よしかど)が継いだ。義敏は周防に出奔し,66年(文正元)伊勢貞親を頼って上洛,足利義政に許されるが貞親の失脚で越前にのがれた。応仁・文明の乱では東軍に属し,越前で孝景と戦う。71年(文明3)孝景の東軍帰参後は越前の実権を喪失,のち帰京。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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