志野焼(しのやき)
桃山時代の美濃焼で作られた白釉陶。志野焼という窯場はない。美濃焼は天正年間,中国景徳鎮(けいとくちん)窯の白磁を手本に長石を使って白釉陶を創案。これに着目して茶人が茶道具を作らせた。文献では「松屋会記」天正14年(1586)条に「セト白茶碗」とあるのが初出。考古学的にもこの時期をさかのぼらない。当初は瀬戸焼と称し,志野の文字は江戸中期になって付与され,近衛家熙(いえひろ)の「槐記(かいき)」にはじめて認められる。その作風により無地志野・絵志野・鼠(ねずみ)志野,赤志野・紅(べに)志野・練込み志野・志野織部(おりべ)などに分類される。江戸初期で絶え,江戸後期に瀬戸焼が復興した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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