信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)
生没年不詳。「徒然草(つれづれぐさ)」に「平家物語」の作者として記された人物。後鳥羽上皇時代の楽府(がふ)論議で面目を失い,「五徳の冠者」とあだ名され遁世。のちその才を惜しんだ慈円(じえん)に扶持され,東国出身の琵琶法師生仏(しょうぶつ)を介して武士に武家弓馬の業をただしながら「平家物語」を作り,生仏に語らせたという。出自も不詳だが,慈円の兄九条兼実の家司で「玉葉」などにみえる下野守藤原行長とされる。行長は「平家物語」の「行隆之沙汰」に描かれる藤原(中山)行隆の子で中山中納言顕時の孫,母は美福門院越前。元久詩歌合作者。ただし信濃守となった確証はない。「尊卑分脈」「醍醐雑抄」は従弟の葉室時長作者説をとる。これによると,行長作者説は「平家物語」成立と中山家との関係を示すとも考えられる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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