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信濃国(しなののくに)

東山道の国。古くは科野国と記す。現在の長野県。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では伊那・諏方(すわ)・筑摩(つかま)・安曇(あずみ)・更級(さらしな)・水内(みのち)・高井・埴科(はにしな)・小県(ちいさがた)・佐久の10郡からなる。721~731年(養老5~天平3)諏方国が分置された。国府ははじめ小県郡(現,上田市),のち9世紀に筑摩郡(現,松本市)に移ったとみられる。国分寺・国分尼寺は小県郡におかれた。一宮は諏訪大社(現,茅野市・諏訪市・下諏訪町)。「和名抄」所載田数は3万908町余。「延喜式」の調庸は布で,中男作物として紙・紅花のほか,鮭・猪・雉の加工品類があり,薬品原料として胡桃(くるみ)・棗(なつめ)・梨子(なし)・大黄・石硫黄(いおう)などの貢進が定められていた。良馬の産地として御牧(みまき)が設定され,朝廷に貢馬をする駒牽(こまひき)の儀式が平安中期を中心に盛行した。また信濃布が特産として珍重された。鎌倉時代には北条氏の勢力が強く及び,南北朝期以降は守護小笠原氏や村上氏などの国人(こくじん)層が勢力を競ったが,一国規模の大名は現れず,戦国期には甲斐武田氏の領国となった。近世には11藩(のち10藩)があり,幕領・旗本領もあった。1869年(明治2)旧幕領と旧藩預地をあわせて伊那県とし,70年伊那県から中野県が分立。71年中野県は長野県と改称。また筑摩(ちくま)県ができた。76年筑摩県の一部と長野県が合併して長野県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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