地頭(じとう)
平安末期から鎌倉時代末までを中心に,荘園や公領の現地を支配した職。地頭とは現地の意味で,転じて現地を領有する者とか,現地の有力者の称呼となった。平氏政権は,各地の荘園公領に平氏の家人となった武士たちを地頭職として送りこんだ。鎌倉幕府はこれを一般的な制度として広く全国化した。1185年(文治元)源頼朝は後白河上皇に迫って全国の荘園・公領に地頭を任命する権利を認めさせ,以後,機会をとらえては御家人を地頭に任命した。新たな地頭の任務は年貢の徴収・納入と土地の管理および治安維持であり,給与はとくに一定の規準はなく,先例にしたがった。これによって下司(げし)などの職にあった荘官の多くは新たに幕府の任免権に服する地頭職に任じられる形式で,将軍配下の従者に組織され在地領主としての支配を保障された。当初の地頭の任命される範囲は,頼朝か幕府に対する謀反人の旧領に限られたが,幕府勢力の拡大とともに全国にひろがった。とくに1221年(承久3)の承久の乱後,後鳥羽上皇方の貴族や武士の所領3000余カ所を没収,御家人を新たに地頭に任命した意義は大きい。このとき先例がないか少ない所領については新補率法を定め,地頭の給与の規準を示した。以後,鎌倉時代を通じて荘園の領主や国司などの勢力と対立しつつ,地頭の現地支配が進められ,幕府勢力の拡大と全国化の裏づけとなった。南北朝の争乱のなかで,地頭という職の意味はうすれていくが,中世を通じて地頭の役割は大きい。江戸時代にも,旗本や大名の家臣の通称・俗称として地頭の語が用いられた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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