四天王寺(してんのうじ)
荒陵(あらはか)寺・難波(大)寺・堀江寺・天王寺とも。大阪市天王寺区にある和宗総本山。荒陵山(こうりょうざん)と号す。「日本書紀」では用明2年,蘇我馬子(うまこ)による物部氏討伐に従軍した厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)が四天王像を刻み,造寺を誓って戦勝を祈願,593年(推古元)に難波の荒陵に当寺を建立したと伝える。623年には新羅(しらぎ)から贈られた舎利(しゃり)や金塔などを納めた。この頃いわゆる四天王寺式伽藍配置が整えられた。平安時代には太子信仰の隆盛で貴族や庶民の信仰を集めた。また浄土信仰の隆盛にともなって,浄土の入口と観念されるようになり,西門から夕日を拝む行為が流行し,海に入水する者もあった。河内・摂津両国に多くの寺領をもち,たびたび罹災したが復興された。当寺には敬田院・施薬院・悲田院・療病院の4院が存在し,仏教的実践としての社会福祉事業の拠点とされ,忍性(にんしょう)も別当として入寺した。1576年(天正4)にも石山合戦の兵火をこうむったが,のち豊臣秀頼により復興された。旧境内は国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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