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執権政治(しっけんせいじ)

鎌倉幕府で,執権が主導権を握っていた政治体制。幕府の政治体制は,将軍独裁・執権政治・得宗専制の3段階でとらえるのが通説で,その第2段階にあたる。幕府初期には,物事の決定権はあくまで将軍(および北条政子)にある将軍独裁であった。しかし,執権北条泰時は,1225年(嘉禄元)政子の死後,評定衆を設置,執権主催の評定の場を,幕府の意思決定機関とする。これが執権政治の開始であり,将軍は評定の決定を追認するだけとなった。評定は執権・連署と評定衆による合議機関で,彼らは「御成敗式目」を作成,連帯責任のもとに「理非を決断する」ことを誓約している。しかし安堵や新恩給与の権限は,いぜん将軍のもとにあった。その後勢力を増大した北条氏得宗家は,84年(弘安7)新御式目を制定し,将軍親裁の事項であった安堵をも,事実上,新得宗貞時の手中に収めた。ここにいたり,執権政治は得宗専制に移行したとみなされる。しかし,一方ではそれ以前の得宗時頼・時宗の時代には,評定以外に得宗私邸での「寄合」の役割も大きくなっており,すでに得宗専制への移行が始まっていたとする見解も有力。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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