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下地中分(したじちゅうぶん)

鎌倉~南北朝期に荘園領主と地頭の間でかわされた所領相論の解決方法の一つ。地頭の荘園年貢抑留の問題は,地頭職が設置された当初からあったが,承久の乱後,新補地頭がおかれると,西日本を中心に問題はいっそう拡大した。山野利用の進展も,両者間に多くの紛争を生むようになった。そうした問題の解決方法の一つが下地中分で,土地を地頭方と領家(荘園領主)方に分割する。分割方法には,土地の中央に境界線を引いて二つにわける場合と,田1枚ずつを二つにわける坪わけの二通りがあったが,いずれも1対1とは限らなかった。田だけでなく,山野や百姓なども中分の対象となった。鎌倉幕府は,下地中分による地頭と荘園領主の相論解決を政策的に進めたため,中分には当事者同士の示談によって成立し,これを幕府に承認してもらう和与(わよ)中分と,幕府が命じて中分する場合があった。中分にあたってはしばしば絵図が作成され,鎌倉後期には多くの荘園絵図がうまれた。南北朝期にも,1368年(応安元・正平23)の半済(はんぜい)令を実施する際,下地が中分された。この場合,二分された下地は本所方・半済方とよばれることが多い。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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