閑谷学校(しずたにがっこう)
備前国岡山藩の郷学。はじめ閑谷学問所,明治期以後閑谷精舎(しょうしゃ)・閑谷黌(こう)ともいった。1670年(寛文10)和気(わけ)郡伊里村閑谷(現,岡山県備前市)に設立。藩主池田光政が設置した寮内123カ所の手習所の維持の困難さをみて,学校奉行津田永忠に命じて永世継続の方法をとらせた。社倉米制度・学校領・下作人制度を定め,1701年(元禄14)完成。庶民子弟の教育を主とし,寄宿および通学。初級から中等程度の漢学(朱子学)・習字・算術を教授。江戸時代の学校建築の代表的遺構で,国特別史跡。芳烈祠(ほうれつし)・聖廟(せいびょう)・講堂・小斎(しょうさい)・飲室等の建造物や石塀が保存されている。1870年(明治3)藩学校となり,のち廃校。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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