鹿ケ谷の謀議(ししがたにのぼうぎ)
1177年(治承元)5月,後白河上皇の近臣が平氏討伐をはかった事件。藤原成親(なりちか)・成経父子,平康頼・西光(さいこう)(藤原師光(もろみつ))・俊寛(しゅんかん)など上皇の近臣が,京都東山鹿ケ谷の俊寛の山荘で反平氏の謀議を行い,これが多田行綱の密告によって発覚。平清盛は関係者を検挙し,西光は死罪,成親は備前国に配流後殺害され,成経・康頼・俊寛は鬼界ケ島へ流され,上皇近臣の勢力は壊滅的な打撃をうけた。上皇本人の責任は不問にふされたものの,この事件を契機に上皇と平氏の対立は一挙に深まり,79年11月,清盛はクーデタをおこし上皇を鳥羽殿に幽閉した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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