江戸中期,越後国蒲原郡にあった潟湖の紫雲寺潟を干拓して造られた新田の総称。現在の新潟県新発田市・胎内市にあたる。信濃国米子(よなこ)村で硫黄採掘業をしていた竹前小八郎が,その没後は兄権兵衛が中心となって開発。1727年(享保12)幕府から開発を許可され,32年にほぼ干拓された。総面積約1700町歩,42の新田ができ,このうち竹前家には500町歩が与えられた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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