副島種臣(そえじまたねおみ)
生没 1828.9.9~1905.1.31 幕末期の佐賀藩士,明治期の政治家。実兄の国学者枝吉(えだよし)経種(神陽)の義祭同盟に参加,尊王攘夷運動にたずさわる。大隈重信と大政奉還の斡旋を試み藩から謹慎処分をうける。維新後,参与・参議・外務卿などを務め,樺太国境問題,マリア・ルス号事件,琉球帰属問題の処理などにあたり,全権大使として日清修好条規批准書の交換を行った。1873年(明治6)参議兼外務卿となったが征韓論で下野,翌年民撰議院設立を建議,愛国公党の結成に加わる。88年枢密顧問官。翌年大隈の条約改正交渉を批判して天皇の戒諭をうけた。枢密院副議長をへて92年第1次松方内閣の内相となるが,白根専一次官と対立して辞任。詩文に優れ,東邦協会会頭を務めた。伯爵。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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