駿河国(するがのくに)
東海道の国。現在の静岡県東部。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では志太・益頭・有度・安倍・廬原・富士・駿河の7郡からなる。国府は安倍郡(現,静岡市)におかれた。国分寺の所在地には片山廃寺など諸説ある。一宮は浅間神社(現,富士宮市)。「和名抄」所載田数は9063町余。「延喜式」では調として綾・絁や堅魚など,庸として布・白木韓櫃。平安時代には,東国との往来に東海道が盛んに利用されて負担をしいた。鎌倉時代には北条得宗家が守護をつとめ,幕府の重要な基盤となる。南北朝期以降,今川氏が守護となり,領国支配を固める。1560年(永禄3)今川義元が桶狭間の戦で織田信長に敗れると,甲斐国の武田信玄と三河国の徳川家康が進出をはかり,武田氏滅亡後家康の支配権が確立した。家康の関東移封後,中村一氏が封じられたが,関ケ原の戦後,再び徳川氏の支配に帰した。江戸時代は駿府城代がおかれ,小藩と幕領・旗本領がほとんどであった。1871年(明治4)廃藩置県により静岡県が成立。その後浜松県および足柄県の一部を合併。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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