田沼意次(たぬまおきつぐ)
生没 1719~88.7.24 江戸中期の側用人・老中。父は御家人(ごけにん)の意行(もとゆき)。1734年(享保19)将軍世子徳川家重の小姓となり,家重の将軍就任に従って本丸小姓組番頭・御側を勤め,58年(宝暦8)以降,評定所に出座し幕政を主導。この年万石以上となり,遠江国相良(さがら)藩主。67年(明和4)側用人,69年老中格,72年(安永元)老中となる。株仲間に冥加金を課して商品流通に課税。鎖国政策をゆるめて銅・俵物を輸出し,金銀を逆輸入して,それを財源に金銀通貨の一本化を企図した。また蝦夷地開発計画,大規模な新田開発工事などの斬新な経済政策を推進したが,86年(天明6)将軍家治の死の直後老中罷免。翌年所領を没収され謹慎。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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