谷文晁(たにぶんちょう)
生没 1763.9.9~1840.12.14 江戸後期の南画家。父は田安家家臣で詩人の谷麓谷(ろくこく)。名・字・号ともに文晁。別号に写山楼など。江戸生れ。画ははじめ狩野派の加藤文麗(ぶんれい)らに学び,北山寒巌(かんがん)・渡辺南岳らの影響をうける。古画の模写と写生を基礎に南宗画・北宗画・洋風画などを加えた独自の折衷的画風をうみ,関東の南画様式を確立。田安家に仕官,さらに松平定信に認められ近習となる。「集古十種」の編纂に従事するなどして社会的地位をえ,江戸画壇に君臨して多くの弟子をもった。寛政文晁とよばれる時期の作品は滋潤な墨色と清新な画風で評価が高い。作品「木村蒹葭堂(けんかどう)像」「公余探勝図巻」(ともに重文)「隅田川鴻台真景図巻」「松島暁景図」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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